中国工場のストライキ実体験物語

 中国工場のストライキ実体験物語

今回は前職の工場で体験したストライキ対応について発生から結末まで私の体験を書いてみます。

今では懐かしい1つの思い出でもありますが、ストライキ対応をしている最中は本当に大変でした。

《 こんな会社でした 》

北京の車関連の下請け工場で営業課長として働いていました、社員は70名の小さな工場で日本人は私一人でした。

会社設立から5年ほどたっていましたが、私が入社した頃は給料も遅配が続く経営環境の厳しい工場でした。当然人の入れ替わりも激しく色々と問題を抱えていましたが、当時の中国人総経理の人徳とその仲間のお蔭でなんとか食いつないでいました。

ただ、日本本社の社長の経営手法に大きな問題があり、ストライキを経て最後は工場を畳んで撤退することになってしまいました。

 

《 ストライキ発生当日 》

ある日いつも通りに出社し製造工場に入った時、製造部の中国人社員たち30人が私を取り囲み「話がある」と言って2人がかりで私の両腕を掴み会議室に連れ込んだのです。

「一体何事だ( ゚Д゚)」と驚きつつも普段は社員とよい関係を作っているので、流石に囲まれてボコボコにされることはないだろうと冷静を装っていましたが、内心はちょっとビクビクでした。((+_+))

会議室に入ると皆が一斉に「こんな会社やってられない、ストライキだ!!」 「待遇を改善しろ!!」 「こんな会社訴えてやる!!」などなど会社に対する不満と暴言が次々に浴びせられます。

実はその前の週に日本本社の社長が役職者の「給料を30%下げる」と発言したため、そのことがただでさえ苦しい中で働いてる社員の意欲を削ぐことになりストライキに発展してまったのです。

色々と問題が多い会社だったものの、「遂にこんな事態になってしまったか。。。」と嘆くばかりでした。

 

《 社員の要求 ・横断幕 》

会社は厚生年金や健康保険などの加入を一部怠っており、これを理由に会社を訴えると脅しをかけてきたのです。

製造課長がリーダーとなり、社会保障未加入に対して超高額賠償を求めます。

社長に報告したものの逃げるばかりで、社員たちは会社の正門に「日本人が血と汗の労働で得たお金を搾取した」と横断幕をかけげて騒ぎ立て、一時警官がくるはめにもなりました。

その様子をみた協力会社も「この会社は倒産するんじゃないか!?」と騒ぎたて、未払い金の支払い催促が急激に厳しくなりました。

当然日本の会社で私が唯一の日本人ですからしわ寄せは全て私に来ます、発生から連日社員から言い寄られ、業者からも「早く金を払え」と怒鳴られる日々が続きました。

ストライキ発生から問題の終息まで約3か月ほどかかってしまったのですが、助けてくれる人もいない中で日に日にストレスが溜まっていき、普段は吸わないタバコとお酒が増えていきました。

 

《 涙で製造部社員に謝罪 》

私は常々「海外に進出している日本の会社として中国人に誇れる会社でありたい」という想いで働いていましたし、それを業績や社員に対する還元、或は日々のコミュニケーションの中の人徳という形で社員に示すべきだという考えを持っていました。

発生から2週間ほどが経過し弁護士と対応を打ち合わせたり、顧客に対して工場停止による納期遅延のお詫びや報告などをしている中で、状況の説明を求めて製造部の社員から会議室に呼ばれることがありました。 ストライキの中心人物も私個人に憎悪を募らせているわけではないので、交渉の中で食事をしならが社員の不満を聞くこともありました。

自分は役職者であり唯一の日本人社員でもありましたから、会社を守る立場でありその立場を貫いてはいましたが、社長とのやり取りの中で会社に対する不信感が高まると同時に日本人の作った会社がこんな状態であることに少しづつ日本人として情けなさを感じるようになっていきました。

社長の要求と社員の要求の隔たりを埋められず苦悩している中で、ある日会議室で社員と話している中で、

私の本当の気持ちを社員に打ち明けたのです。

「日本人に対しては歴史的な問題も含めて問題が残っている中で、あえて日系企業を選んで働いてくれている皆には感謝している。私は一人の日本人として自分が中国人の友人たちに誇れる人間でありたいと思っているし、私が働いている会社も中国人の方たちに誇れる会社でありたい!また自分の力でそういう方向に導かなければならないと考えている。

それなのにこの会社は最低限行うべき保証(健康保険など)も行っていなし、とても社員を大事にしているとは言えない。それに加え、ストライキ発生から今まで社長と話を重ねて来たが、私と社長との考えに隔たりも大きく正直言って私自身この会社に幻滅しだしてしまっている。」

と語っている中で自分の心の中で、日本の誇りにしたい会社が日本の恥のように思えてしまい、社員に対する申し訳ない気持ちが急に高まり、皆の前で涙を流してしまったのです。

泣きながら「私はこの会社を良い会社にしたいが、この現状が非常に残念であり、また日本の恥のような会社であることが悲しい。せっかく日系で働いてくれるいる皆さん気持ちにも応えられず申し訳ない」

と話しました。

別に意図してやったことではないのですが、社員の心を掴むことになり、以後に交渉において大きな譲歩を引き出すことに繋がります。

 

《 ストライキ解決のカギ 》

「決して会社の経営上の数字(利益)だけを見て会社側だけの考えで判断をするのではなく、

双方の立場を理解し、問題が起こしている社員の気持ちにも寄り添い配慮する、双方の中間に立ってストライキ社員とも協力して問題を解決する!」

これが私の経験から言えることです。

確かに私は会社を守るべき立場ですが、100%会社側の立場で発言すると反発を買い火に油を注ぐようなものです。

 

《 ストライキの結末 》

社員が横断幕を掲げて大騒ぎになった時に市政府の指導員が仲裁に入ることになりました。

指導員は「会社を訴えても勝訴できず就労期間に応じた保証を求めるしかない」と社員を諭し、無理な要求を一掃しました。

指導員が優秀な人であり、社員もすぐに高額賠償請求の訴えを改め相応の違約金を求める方針に転換したのです。

これにより会社が社員に支払う費用が大幅に減少したため、日本の本社の金銭的助けを借りて違約金を支払うと共に一人一人と契約を交わしストライキ社員は全員退職してもらうことになりました。

《 その後 》

ストライキ社員の退職によってひとまずは問題が解決しました。製造部門のストライキだったので、しばらくの期間は生産に影響を与えるものの、製造部門の社員を補填すれば会社運営を再スタートできるところまでなんとかこぎつけたのですが、社長の考えは違っていました。

社員に対する保証金や業者に対する支払いで巨額を拠出したため、会社の再建に前向きな考えを持てなくなり、「会社を畳む」と発言したのです。正直これには幻滅しました、私は日本に逃げ帰った社長に代わって必死にストライキ解決したのに、解決したとたんに「会社と畳む」です。

さすがにここで私も「ここではやっていけない」と感じ倒産手続きに入る前に社長に退職を告げ会社を去り日本に帰国することにしたのです。

ストライキ対応中は心身ともに本当に疲れていましたし、貯蓄も多くない中で退職には不安もありました。また社長に対するわだかまりもありましたが、「天津工場の唯一の日本人社員として最後までに逃げずに社員に向き合いストライキ解決した、日本人として私が社員にしてあげられる最低限のことは行ったし最低限の誇りは守った」という自負がありましたので、退職を決意し退職を伝えたあとはとても清々しい気持ちになったことを今でもよく覚えています。

 

《 帰国後 》

退職を決めてから1か月ほどは4年間お世話になった中国の友人への挨拶回りのために残っていましたが、

自分の人生で初めての一人暮らしをした第二の故郷のようになっていた中国去るのが急に寂しくなっていました。

現地での転職も検討してはいましたが、「駐在職」を現地で見つけるのは難しかったため日本に戻ることにしました。

幸い帰国から2か月で「中国駐在要員」を募集している企業の採用が決まり、再び中国に戻ってくることになったのです。

 

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