中国人が戦争の恨みを忘れない気持ちが少し分かった出来事

日中は戦後70年経っても歴史問題を解決できていない

近年は日中関係が非常に友好であるとは言え、日中には過去の戦争というしこりが残っており、

中国は何かにつけて日本を戦争のことで責めてきますが、原爆を落としてきたアメリカに対して対米感情の悪くない日本人からすると、対比してあまりにも長い間恨みを忘れない点が理解しにくい面もあると思います。

 

私も長い中国生活で日本人が嫌いな中国人にも会いましたが、

恨む気持ちを理解するのに役立つ出来事があったので紹介してみます。

 会社の忘年会で殴られた

春節の社内の忘年会の席で、総務部の進行役が酔っ払って製造部長に絡みだしました。

ついにはケーキを顔にぶち当て度を越えた態度に部長が激怒し出したため、私が進行役を会場から外に出そうと引っ張っり出したのですが大男でびくともしません。進行役が私の振りほどこうと腕を振りはらった頬に強烈なひじうちを食らいました。

暫く時間がたって冷静になった進行役は私に「对不起」と言って謝ってきました。かなり痛かったのムカッと来ていたのですが、「对不起」と言われた時には驚きました。

上海などの大都会の中国人は別ですが、中国人はそうそう謝りません。紀元前の春秋時代や現代の欧米列強や日本からの植民地化、その後の文化大革命など統治者が常に変わってきた中国では昨日まで白だったことが翌日から黒に代わったり生存すること時代が苦しい苛酷な時代を過ごしてきました。

その中で「自分の過ちを認める≒死」だとDNAに植え付けられてるのかもしれません。

(※どこの国へ行っても日本人みたく気軽に謝る民族はいませんが…)

 

まだ二十歳すぎでお調子者の進行役がこうも素直に謝ってくるとは意外でしたが、お調子者が「对不起」と言ったからこそ、

なお、「あ~、心底悪いことをしたと思ったのだな」と感じました。

以前中国人の彼女に「日本人は「こんにちは」と同じように毎日「すいません」と言っていて、いざ謝るべき時に謝罪の誠意に重みが感じられない」と指摘されていた私は確かに滅多に謝らない人が素直に謝罪したことに対して、進行役のその一言に猛省の重みを感じました。

謝られても意味はないし、謝っても過ちは戻らない

ただ、ただそれでも私の顔の痛みが消えたわけではなく、誠意ある謝罪が必要であることは確かであっても謝罪が犯した罪を消してくれるものではないと感じたのです。

日本人の日常の挨拶のごとく使う謝罪が謝罪の意味を軽くしてしまっている中で、更に謝罪したからと言って侵略によって殺された家族が蘇るわけではないのであれば恨みはなかなか消えないのではないかと感じたのです。

 

 解決策は日本人ひとりひとりが中国人と交流し、友達を増やしていく。

政府間の歴史認識の問題を個人が解決するのは難しいです。今後いかに日中関係が良くなっても歴史問題の大幅な進展はないのではないかと感じます。

 

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